
こんにちは。スマートエデュケーションのナビゲーター 濱井です。
6月、ASOBIOスタッフと全国の園の先生方、日本生態系協会さんとともにドイツを訪れ、ベルリンやドレスデンを中心に保育施設や森の幼稚園、ランドスケープデザイン、クラインガルテンなどを視察してきました。
自然のなかで保育をするイメージが強いドイツですが、ICT活用についてもしっかりと考えていることがわかりました。今回は、ドイツで考えた「子どもの道具としてのICT」についてレポートします。
自然とデジタルは対立しないーーベルリンで見た幼児教育の新しい問い
「ドイツの幼児教育」と聞いて、皆さんはどんな風景を思い浮かべますか。森の幼稚園。木登りをする子どもたち。泥だらけになって遊ぶ姿。雨の日も雪の日も外へ出かける保育。私自身も、そんなイメージを抱きながらベルリンへ向かいました。
今回の視察の目的は、ドイツの環境教育や自然保育を学ぶこと。ASOBIOとして「子どもが自然とどう関わり、環境が子どもの育ちにどのような影響を与えているのか」を、自分の目で確かめたいと考えていました。ところが、ベルリン市教育・青少年・家族局で最初に紹介された新しい教育プログラムには、少し意外なテーマが加えられていました。
「メディア(ICT)との関わり方」

そこに記されていたのは、「子どもがリソース(道具・選択肢)として使うICT」でした。自然保育の先進国として知られるドイツが、幼児教育にデジタルを取り入れようとしている。その姿は私がイメージしていたドイツとは少し違っていましたが、子どものためのICTを提供する会社の一員として、深く共感できる考え方や根拠がしっかりと示されていました。
ベルリンが考えていたのは、「自然かICTか」ではない。「子どもが世界を探究する環境を、どう保障するか」。その問いだったのです。
ベルリン市には約3,000の保育施設があり、およそ18万人の子どもが通っています。子どもには生後8週から保育施設を利用する権利が保障され、公立だけでなく協会や福祉団体など、多様な主体が保育を担っています。印象的だったのは、担当者が制度を説明する際、一貫して「子どもの権利」という言葉を使っていたことです。保護者が預けるための制度ではなく、子どもが育つ権利を保障するための制度。その考え方が、ベルリンの幼児教育全体を貫いていました。
2026年6月に改訂されたベルリン教育プログラムでも、その姿勢は変わりません。そこには、
「どの子どもも個性的である」
「子どもは有能で好奇心旺盛な存在である」
「子どもは社会的な存在である」
という子ども観が明確に示されています。
さらに教育とは、「子どもが世界を獲得し、形づくっていくプロセス」であり、感覚を通した総合的で楽しい営みであり、大人との協働によって育まれるものだと位置づけられていました。知識を教えることではなく、子ども自身が世界と出会い、自分なりに意味を見つけていくこと。その思想を聞きながら、私は「ICT教育」という言葉そのものが、少し本質からずれているのかもしれないと感じ始めました。
「ベルリンでは、タブレットを特別なものとは考えていません」
日本の先生方からは、率直な疑問が投げかけられました。
「幼児にはまだICTは早いのではないでしょうか。制限するという考え方はないのでしょうか」
返ってきた答えは、とても印象的でした。
「子どもは生まれた瞬間からメディアと出会っています。親は子どもを写真に撮ります。その姿を子どもはよく見ています。子どもは意外なほど批判的な視点も持っています」
そして担当者は続けました。「ベルリンでは、タブレットを特別なものとは考えていません。鉛筆や虫眼鏡と同じように、子どもの手の届くところにある環境を目指しています」さらに何度も繰り返された言葉があります。
「How Toではありません。子どもの可能性を限りなく広げるためです。」
ICTを教えたいのではありません。ICTを使って、子どもの世界を広げたいのです。

実際に訪れた保育施設では、タブレットや電子顕微鏡、生きものや植物を検索するアプリなどが活用されていました。しかし、その実践は私が想像していたものとは少し違っていました。
タブレットを操作するのは主に保育者です。先生が植物を撮影し、名前を調べ、子どもたちに見せる。電子顕微鏡で葉っぱや虫を観察する場面もありましたが、子ども自身が自由に持ち出し、「これを調べてみたい」と探究を進めていくような姿は、まだ多くありませんでした。教材も、数や文字、音、形など認知的な内容が中心です。率直に言えば、「もっと探究を支えるアプリや実践があれば面白いのに」と感じました。
一方で、その未完成さに私は希望も感じました。ベルリンは完成形を見せているのではありません。行政も保育者も、これから試行錯誤しながら新しい保育をつくろうとしている。その過程に立ち会えたことが、とても印象的でした。

では、なぜベルリンはICTを必要としているのでしょうか。その答えは、街を歩く中で見えてきました。ベルリンには約3,000の保育施設がありますが、園庭を持つ園は半数ほどしかありません。日本でも都市部では同じ課題がありますが、ベルリンもまた、大都市ならではの制約を抱えているのです。

もちろん行政も手をこまねいているわけではありません。12の区ごとに自然と触れ合える場所を整備し、さらに市内には7か所の森林があり、子どもたちが大人に過度に干渉されず、自由に自然と関われる環境が用意されています。担当者は、自然との関わりについてこんな言葉を話していました。
「自然とは、ただ見るものではありません。触れること、採ること、食べてみること。感覚と体験が結びつくことが大切なのです」
この言葉が、今回の視察で最も心に残りました。環境教育とは、自然について知識を得ることではありません。自然との関係をつくることです。
土の匂いを感じること。
雨の冷たさを肌で感じること。
虫が逃げる速さに驚くこと。
木の実を拾い、葉の違いに気づくこと。
そうした身体を通した経験の積み重ねが、「世界を知る」という学びにつながっていく。だからこそベルリンでは、自然もICTも別々の話ではなく、「子どもが世界と出会う環境」という一つの文脈で語られていたのです。

この話を聞きながら、私は日本の幼児教育が目指そうとしている方向とも重なる部分があると感じました。現在議論が進められている幼稚園教育要領、保育所保育指針、幼保連携型認定こども園教育・保育要領、いわゆる「3要領・指針」の改訂でも、「ICTは乳幼児期の直接的・具体的な体験を充実させるための道具として活用すること」が示されています。同時に、「直接的・具体的な体験を阻害する活用にならないこと」も明記されています。さらに、遊びの中の学びを見取り、記録し、子ども理解を深めることも重視されています。
つまり、日本もベルリンも目指している方向は同じです。ICTは子どもを画面の前に座らせるためのものではありません。泥に触れた驚きや、虫を見つけた発見、友達との対話や試行錯誤を記録し、振り返り、次の探究へとつなげていくためのリソースなのです。
今回の視察で、私は「自然とデジタルは対立しない」という答えを持ち帰ったわけではありません。むしろ、「自然とデジタルを対立させて考えていたのは、大人だったのかもしれない」と感じました。子どもにとっては、木の枝も、虫眼鏡も、シャベルも、タブレットも、「もっと知りたい」という気持ちを支える道具の一つです。
本当に大切なのは、どの道具を使うかではありません。
その道具が、子どもを自然へ向かわせているのか。
友達との対話を生み出しているのか。
新しい問いや発見につながっているのか。
これから議論すべきなのは、「ICTを使うか、使わないか」ではなく、子どもの探究を支える環境を、私たちはどうデザインしていくのかということではないでしょうか。
ベルリンで出会ったこの問いは、ドイツだけのものではありません。これからの日本の幼児教育、そして私たちASOBIOが自然環境づくり、KitSがICTの可能性を考える上でも、大切にしていきたい問いだと感じています。
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