コラム

2026/8/4

子どもの「いま」を見ることから、園は変わり始める ー 中国・東莞で見た、探究が続いていく保育 ー

 こんにちは。スマートエデュケーションのナビゲーター 土井です。
 6月、小規模保育園・保育アトリエ「こどもなーと」代表の和泉誠さんにご一緒させていただき、中国・広東省東莞(ドンガン)市の園に視察に行ってきました。
 海外の視察というと複数の園を回ることが多いかもしれませんが、今回は3日間、同じ園を見学させていただきました。見学したのは幼稚園6園・小学校・中学校を擁する大規模学園グループの園です。約7年前に詰め込み型教育に対する疑問を持ち始めたというオーナーのサリーさん(台湾出身)。SNSで和泉さんと出会い、和泉さんのアドバイスを受けながら保育改革を推進してきました。

 「中国の幼児教育」と聞くと、一斉教育や、幼い頃から知識や技能を身につける競争的な教育を思い浮かべる人も多いかもしれません。私自身、視察前はどこかそのようなイメージを持っていました。しかし、中国・広東省東莞市で訪れた幼稚園で目にしたのは、その先入観とは大きく異なる光景でした。今回は、中国・東莞で見た「探究が続いていく保育」についてレポートします。


「何を作るか」ではなく、「何が生まれるか」を考える環境

 園に入って最初に圧倒されたのは、素材の量と種類でした。東莞市は、繊維や陶器などのものづくりが盛んな地域です。園には地域の工場から提供された糸や陶器、さまざまな廃材があり、それに加えて、松ぼっくりや貝殻、石、木片などの自然物も豊富に用意されていました。

 これらは、遊び方や用途があらかじめ決められていない「ルースパーツ」です。同じ木片でも、おままごとの食材になったり、長さを比べる道具になったります。素材の意味を決めるのは、大人ではなく、それを手にする子どもたち。この園では、ルースパーツが一つのコーナーにまとめられているのではなく、室内や廊下、遊びの場までの動線上など、さまざまな場所に置かれていました。子どもが何かを思いついたとき、すぐに試すことができます。

 環境設定で特に印象的だったのが、レンガづくりの場面です。四角く平らなレンガを作るのであれば、大人はつい、きれいに仕上げられる型や道具を用意したくなります。しかし、この園には、目的に適した道具だけでなく、きれいな面を作りにくそうな道具も置かれていました。

 すぐにうまくいく道具だけを用意すれば、子どもは最短距離で完成にたどり着けます。一方で、比べたり、失敗したり、別の方法を考えたりする機会は少なくなります。うまくいかない道具があるからこそ、「なぜ平らにならないのだろう」「押すより横に動かしたほうがよいかもしれない」といった試行錯誤が生まれます。環境構成とは、子どもを正解へ導くことではなく、迷い、比べ、自分なりの方法を生み出せる余白をつくることなのだと感じました。

一斉活動のある園が設けた「探究の時間」

 園での子どもたちの姿だけを見ると、自由選択型の保育を中心とした園のように見えました。ところが、実際にはこの園も一斉活動を多く取り入れています。すべての時間を自由な遊びに変えたのではありません。その代わり、週に1〜2回、2時間ほどの「探究の時間」をカリキュラムの中に位置づけていました。場所に限りがあるため、クラスごとにローテーションを組みながら、子どもが一つのことにじっくり取り組める時間を確保していました。

 この実践は、日本の園にも取り入れやすい考え方ではないかと思います。子ども主体の保育に関心があっても、「すべてを自由保育に変えるのは難しい」「行事や一斉活動も大切にしたい」と感じる園は少なくありません。

 探究の時間を設けることは、現在の保育を否定することではありません。まずは週に一度でも、子どもが十分に試し、気付きによって行き先を変えられる時間をカリキュラムの中に置く。この園は、「自由か一斉か」という二者択一ではなく、今ある保育の中に探究が育つ仕組みをつくっていました。

 園で見た泥遊びも、単発の活動ではありませんでした。年少児は土と水を混ぜながら、水の量による変化を感じていました。年中児になると土を使ったレンガづくりへと発展し、土の中でミミズを見つければ、関心は生き物の暮らしへ移っていきます。

 大人が初めからゴールを決めたのではありません。一つの発見が次の問いを呼び、その問いに応じて活動が変化していく。探究には、何度も試せる時間、前日の続きを行えること、必要な素材や道具、自分の気付きを聞いてくれる人といった「続けられる条件」が必要なのです。

ドキュメンテーションは「次の探究」のためにある

 園内の廊下には、子どもたちの活動を記録したドキュメンテーションが掲示されていました。しかし、特に印象に残ったのは、完成した掲示物そのものではありません。先生たちが、子どもを見ながら絶えずメモを取り、写真を撮っていたことです。

 どの素材を選んだのか。同じことを何度試しているのか。誰の言葉を聞いて動きが変わったのか。何に驚き、どこで立ち止まったのか。先生は次々と声をかけるのではなく、一歩引いた場所から、子どもの思考のプロセスを見ようとしていました

 日本でもドキュメンテーションへの関心は高まっています。一方で、写真と文章をきれいに配置し、保護者に活動を伝える掲示物を作ることが目的になってしまうこともあります。この園でも、泥遊びに対して「汚い」という印象を持つ保護者に、子どもがそこで何を経験しているのかを伝えるため、ドキュメンテーションが活用されていました。

 しかし、その役割は保護者への報告だけではありません。写真や言葉は、保育者同士の振り返りに使われ、さらに翌朝の子どもたちとの対話へ返されていました。記録する・保育者同士で読み解く・子どもたちと振り返る・次に何をしたいかを考える・新しい環境や素材を用意する・そこで生まれた姿を再び記録する。
 この循環があったからこそ、昨日の遊びが今日につながり、今日の気付きが明日の探究を生み出していました。ドキュメンテーションは、過去を保存するものではなく、次の保育を生み出すための環境なのです。

写真を囲むサークルタイムが、個の経験をみんなのものにする

 視察中、朝のサークルタイムでは、前日の写真をモニターに映しながら活動を振り返る場面が見られました。

 「昨日は何をしたの?」という問いだけでは、子どもの答えは「楽しかった」「泥遊びをした」で終わることがあります。しかし、写真があると問いを具体的にできます。

「このとき、何を入れていたの?」
「最初と最後で、泥の色が違うね」
「このあと、どうなった?」
「次にするとしたら、何を変えてみたい?」

 写真は正解を示すものではなく、経験を思い出し、他者と共有する手掛かりです。その場にいなかった子どもも、「私もやってみたい」と話に加わることができます。
 子ども主体の保育というと、一人ひとりが好きなことに取り組む姿を思い浮かべがちです。しかし、園という集団で生活する意味は、個々の経験が出会い、影響し合うところにあります。ある子の発見が別の子の「やってみたい」になり、それぞれに進んでいた遊びが出会って、新しい活動へと発展していく。サークルタイムは、遊びを中断して先生の話を聞く時間ではなく、個々の遊びをクラスの共通の問いへと開いていく時間なのだと感じました。

 探究は、科学的に調べることだけではない

 園には、ビーカーや計量器具など、量や変化を確かめられる道具も豊富に置かれていました。泥にどのくらい水を加えたのかを測る。異なる割合で混ぜて固さを比べる。こうした経験は、子どもが数量や因果関係に目を向けるきっかけになります。 一方で、今回強く心に残ったのは、探究を科学的な方向だけに進めないという考え方でした。あるクラスでは、子どもたちがアリの巣に興味を持っていました。アリの数や動き、巣の形を観察することもできます。しかし、同行した和泉さんは、先生たちに別の問いを提案しました。
「大雨の時に、アリの巣の中は、どのようになっていると思う?」
 実際の巣の内部を正確に調べるだけでなく、見えない世界を想像し、描いたり、作ったり、物語にしたりする可能性を開く問いです。

 幼児期の探究は、科学的に正しい答えへ近づくことだけではありません見る・触れる・測る・比べる・想像する・描く・作る・話す。科学的な見方は「実際にはどうなっているのか」を明らかにし、表現は「私はそれをどう見たのか」を外に表します。観察したからこそ想像が豊かになり、想像して描いたからこそ「本当はどうなっているのだろう」という新しい疑問が生まれる。科学と表現を往還することで、子どもの探究はさらに深く、広くなっていきます。

子どもの変化が、保育者と園を変えた

 視察では、午前中に保育を見た後、午後に先生たちの実践発表と振り返りが行われていました。

 先生たちは、その日に見た子どもの姿を写真やメモとともに発表します。それに対して、講師の和泉さんはすぐに答えを教えるのではなく、「どこを見て、そう感じたのですか」「そのとき、子どもは何を見ていましたか」と問い返します。問いを通して、先生自身が子どもの姿をもう一度見直し、そこで考えたことを翌日の保育で試す。そして再び振り返る。研修と実践が日々往還していました。

 取り組みを始めた当初、先生たちは「考え方は分かるけれど、具体的に何をすればよいのか」と方法を求めていたそうです。しかし、保育は決められた方法を再現すれば同じ結果が生まれるものではありません。本当に必要なのは、正しい活動の方法を覚えることではなく、目の前の子どもの姿から、次の環境や関わりを考える力です。

 園の先生たちの意識が大きく変わったのは、取り組みを始めて3〜4年ほどたった頃でした。泥遊びから始まった探究の中で、子どもたちの姿や成長が変わってきたことを、先生自身が実感したのです。その変化が保育者の成功体験になり、園全体の熱量につながっていきました。現地の先生からは、保育の見方が変わったことで「楽しくなった」という言葉も聞かれました。

 園の進化とは、新しい活動を取り入れることだけではありません。子どもの姿を見る解像度が高まり、その姿をもとに環境を変え、また子どもから学び直す。その積み重ねによって、園の文化そのものが変わっていくことなのだと思います。

KitSも、探究をつなぐ環境の一つとして

 今回の視察では、ICT活用そのものが中心テーマだったわけではありません。しかし、先生はスマートフォンで子どもの姿を撮影し、モニターに写真を映してサークルタイムを行っていました。重要なのは、デジタル機器を使ったこと自体ではありません。写真によって昨日の経験を呼び戻し、子どもの言葉を引き出し、一人の経験をクラス全体に共有し、次の探究につなげていたことです。

 これは、私たちがKitSを通して大切にしていることとも重なります。KitSは、子どもの遊びをデジタルの中に閉じ込めるためのものではありません。アプリを使うこと自体が目的でもありません。

 子どもがもっとよく見たいと思ったとき。発見したことを友達に伝えたいとき。つくったものを別の形で表現したいとき。昨日の経験を振り返り、もう一度試したいとき。その思いを支える選択肢の一つがICTです

 自然物・絵の具・粘土・ルースパーツ・虫眼鏡・図鑑・カメラ・タブレット。これらは、アナログかデジタルかで分けるものではなく、すべて子どもの探究と表現を支える環境の一部です。重要なのは、最初にアプリを決めて子どもをそこへ向かわせるのではなく、子どもの姿を見て、「いま、この道具があることで何が続くだろう」と考えることです。

 中国・東莞で見た園の姿は、子ども主体の保育とは「子どもにすべてを任せる」ことでも、「保育者が何もしない」ことでもないと教えてくれました。子どもの興味が動き出す素材を用意し、十分に試せる時間を守り、その姿を記録して、子どもや保育者同士で振り返り、次の環境へつなげていく。KitSもまた、探究の特別な答えではなく、子どもの「見たい」「残したい」「伝えたい」「つくりたい」に応える、環境の中の一つの道具でありたいと思います。

 大切なのは、どの道具を使ったかではありません。その道具との出会いによって、子どもの中にどのような問いが生まれ、その問いがどこへ続いていったのか。そのプロセスを、子どもと一緒に面白がりながら見つめていくことなのではないでしょうか。


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